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最高裁判所第三小法廷 昭和55年(あ)2014号 判決

主文

原判決及び第一審判決中、被告人大東鉄線株式会社に関する部分を破棄する。

被告人大東鉄線株式会社は無罪。

被告人松下隆博の本件上告を棄却する。

理由

一  被告人両名の弁護人渡辺俶治の上告趣意は、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

二  しかし、所論にかんがみ、職権により判断すると、以下のとおりである。

1  人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律三条一項にいう「工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し」とは、同法制定の趣旨・目的、その経過、右規定の文理等に徴すると、工場又は事業場における事業活動の一環として行われる廃棄物その他の物質の排出の過程で、人の健康を害する物質を工場又は事業場の外に何人にも管理されない状態において出すことをいうものと解するのが相当であり、人の健康を害する物質の排出が一時的なものであることは必ずしも同法三条の罪の成立の妨げにならないが、事業活動の一環として行われる排出とみられる面を有しない他の事業活動中に、過失によりたまたま人の健康を害する物質を工場又は事業場の外に放出するに至らせたとしても、同法三条の罪には当たらないものというべきである。

2  これを本件についてみると、原判決の支持する第一審判決の認定したところによれば、被告人大東鉄線株式会社(以下「被告会社」という。)は、釘の製造等を業とし、その製造工程から生ずる有害な廃水を中和処理するため工場敷地内に排水処理場を設け、同所に硫酸、次亜塩素酸ソーダ、苛性ソーダの各薬品貯蔵タンクを設置し、これらタンク内に貯蔵した薬品を右廃水に適宜添加して中和処理し、これを公共水域に放流するなどしていたものであり、被告人松下隆博は、被告会社の従業員として、右排水処理場の管理及び薬品の受入れ等の業務に従事していたものであるところ、被告人松下は、右排水処理場において、資材納入業者側の運転手である坪野正によってタンクローリー車で配達されてきた廃水処理剤である稀硫酸を受け入れるため、同人をしてタンクローリー車のホースを前記硫酸貯蔵タンクへの注入口に接続してタンクローリー車内の稀硫酸を同タンクに注入させるに当たり、監視を怠った過失により、坪野が右注入口の近くに併設されている前記次亜塩素酸ソーダ貯蔵タンクへの注入口を硫酸貯蔵タンクへの注入口であると誤認し、これにタンクローリー車のホースを接続して注入を始めたのに気付かず、その結果、稀硫酸と次亜塩素酸ソーダとの化合により塩素ガスを大量に発生させ、これを同処理場の出入口及びタンク排気口等から工場外の大気中に放出させ、よって付近住民一一九名に塩素ガス吸引に基づく傷害を負わせたというのである。

これによると、本件事故は、工場の排水処理場内で発生したものとはいえ、単に廃水の中和に使用する薬品を工場内に受け入れる事業活動中の過失により発生したものに過ぎず、事業活動の一環として行われている廃棄物その他の物質の排出の過程において人の健康を害する物質を排出した場合ではないといわなければならないから、本件事故につき同法三条を適用することはできないものというべきである。

3  そうとすると、被告人松下に対し同法三条二項の罪の成立を認め、かつ、これを前提として被告会社に対し同法四条を適用した第一審判決及びこれを支持した原判決は、いずれも法令の解釈適用を誤ったものというべきである。そして、被告会社の関係においては、本件は罪とならず、無罪の言渡しをすべきものであるから、右誤りは判決に影響を及ぼすべきものであり、原判決及び第一審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。しかし、被告人松下の関係においては、第一審判決認定の事実の範囲内で、同被告人の所為は同認定の各被害者に対する各業務上過失傷害罪(刑法二一一条前段)に当たることが明らかであり、かつ、同罪の法定刑も人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律三条二項の罪のそれも、自由刑については同一であり、原判決の維持した第一審判決の同被告人に対する科刑は、本件が業務上過失傷害罪に当たるとした場合のそれとしても相当なものと考えられるから、前記法令の解釈適用の誤りをもって原判決及び第一審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものとは認められない。

三  よって、被告会社の関係においては、刑訴法四一一条一号、四一三条但書により、原判決及び第一審判決を破棄するとともに、被告事件について更に判決し、同法四一四条、四〇四条、三三六条により被告会社に対し無罪を言い渡すこととし、被告人松下の関係においては、同法四一四条、三九六条によりその上告を棄却することとし、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官坂上寿夫の補足意見、裁判官長島敦の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官坂上寿夫の補足意見は、次のとおりである。

私は、人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律(以下「公害罪法」という。)三条一項にいう「工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し」の意義についての解釈及び本件事故に対し同条を適用することの可否に関し、多数意見が説示するとおりの見解を採ったものであるが、その理由として考えたところの主要な点について、以下に補足して述べておきたい。

一 本件における法律解釈上の重要な問題点は、工場又は事業場からのいわゆる排気、排水等事業活動の一環として行われる廃棄物その他の物質の排出とみられる面を有しない他の事業活動の過程(その明らかなものとして、例えば、原材料の受入・貯蔵、製品の工場構内における運搬等の過程)において、偶々従業員等の業務上の過失によって、人の健康を害する物質(以下「有害物質」という。)が工場又は事業場の外に放出されるに至り、その結果公衆の生命又は身体に危険を生じさせた場合についても、公害罪法三条一項が適用されるかという点である。本件第一審判決及び原判決は、同項にいう「排出」の意義につき、事業主体の管理下にある有害物質を工場又は事業場の外の公衆の生活圏内に管理されない状態において放出することをいうと広義に解し、かつ、「事業活動に伴って」の「事業活動」には、本来的な事業活動はもとより、附随的な事業活動であってもおよそ事業遂行に関係あるものはすべて含まれるとして、前記問題点について積極の見解を採ったものであるが、これは、「事業活動に伴って……排出し」には、廃棄物その他の物質の排出以外の事業活動の結果として有害物質を排出する場合も含まれるとの解釈を前提としているものと解される(以下この見解を「積極説」という。)。

二 確かに、同法三条一項の規定の一語ずつにつき文言解釈をし、それらをつなぎ合わせると、積極説のような解釈が導かれやすく、その意味では、積極説は規定の文理上無理がないともいうことができよう。しかし、公害罪法が工場又は事業場からの排出のみを処罰の対象とし、事業活動によるものであってもその他の所又は物からの公衆の生活圏への有害物質の排出を処罰の対象としていないこと、同法三条一項が単に「業務上必要な注意を怠り、工場又は事業場から有害物質を排出し」と規定せず、あえて「事業活動に伴って」という要件を加えたこと及び右規定の文脈等からすれば、右規定の「工場又は事業場における事業活動に伴って」という文言と「排出し」という文言との関係については、これらを一体的に読むべきものと考えられるのであり、同規定が表現しているところのものは、「工場又は事業場における事業活動の一環として行われるいわゆる排気、排水等の廃棄物その他の物質の排出の過程において、有害物質を工場又は事業場から外部に放出すること」であると解釈するのが、文理上も妥当であると考えられる。

三 次に、積極説によると、公害罪法における規制対象は、工場又は事業場における有害物質の管理一般である(排気、排水等事業活動として行う廃棄物等の排出の際の管理のみでなく、搬入、貯蔵、使用等の際の管理も含まれる。)ということになり、公害罪法三条は、有害物質の管理に関する過失責任を問う罪であるということになる。しかしながら、公害罪法が有害物質の搬入、貯蔵、使用等における管理に対する規制の強化等を狙いとしたものであることを窺わせるような資料は見当たらないし、また、有害物質の管理強化という観点からであれば、工場又は事業場からの放出に限定すべき理由はなく、公道上等におけるそれも処罰の対象にしてよいはずであるのに、そうはなっていない。むしろ、公害罪法が立法されるに至った社会的背景や立法過程及びその前後における立案当局者の説明等によると、公害罪法の規制対象は事業活動の一環として行われる工場又は事業場からの排気、排水等の廃棄物等の排出であるとみるのが妥当であると考えられる。因みに、公害罪法案が審議されていた国会において、当時の政府委員は、「事業活動に伴って不要物として工場・事業場から自分の管理の及ばないところに出すというのが排出という観念である」旨や、「法律案二条、三条の排出の行為というものは、事業活動としての排出である」旨や、また、「何か設備が故障して、故障の結果有害物質が出たという場合であるとか、あるいは設計上に欠陥があったとか、そういうものはこの排出というものに当たらないことが一般であろうと思う」旨の各説明をしているのであり(昭和四五年一二月一七日参議院法務委員会におけるもの。傍点は、私が付した。)、この説明に対し格別の異論も出ずして、公害罪法が成立したのである。このような公害罪法の国会審議の経過に照らしても、公害罪法の趣旨・目的については、前述のとおりに理解し、同法の適用対象については多数意見の説示するとおりに解するのが相当と思われるのである(もとより、立法者の意思あるいは立案当局者の説明は、成立した法律の解釈を拘束するものではないが、特にこれを不合理とする理由のない限り、これを尊重するのが望ましく、殊に刑罰法規に関して、立法のときからさほど歳月の経過していない時期において、処罰範囲を立法者の考えていたところよりも著しく拡張して解釈することについては、とりわけ慎重でなければならないものというべきである。)。

四 更に、積極説によると、公害罪法三条の適用範囲は相当広範囲に及ぶことになると思われる。前述のとおり、積極説では、事業活動の一環として行われる排出とみられる面を有しない他の事業活動中の業務上の過失により、有害物質を工場又は事業場外に放出し、その結果公衆を死傷するに至らせた場合にも、同条二項の適用を肯定するから、例えば、(イ) 工場構内で従業員が製品である有害物質を自動車で運搬中、前方不注視により同車を転覆させ、その衝撃で有害物質を付近住宅街にまで放出させ、住民を死傷させた場合、(ロ) 廃棄物その他の物質の排出が全く行われていない倉庫に原料である有害物質を貯蔵していたところ、設備の保全に過失があったため、有害物質が外部に漏出し、付近住民を死傷させた場合、(ハ) 火気を取り扱う工場において、従業員の業務上の過失により火災を起こし、製造原料あるいは工場建物に用いられていた新建材が燃えて、有毒ガスが多量に発生し、周辺住民が死傷した場合、更には、やや特異な例ではあるが、(ニ) 学校(「事業場」に当たる。)で理科の実験指導中、教師の業務上の過失により塩素ガスを放出させ、周辺住民を死傷させた場合等々についても、公害罪法三条二項の適用を肯定せざるを得ないものと考えられる。それでよいとするのも、ひとつの見解であるとは思うが、それでは公害罪法の適用範囲が余りにも広がり過ぎるように思われる。そして、(イ)の例に即していえば、自動車の転覆が工場構内で発生した場合と、工場を出て公道を通行中に発生した場合(この場合に公害罪法の罪に該当するとはまず考えられない。)とで、公害罪法が適用されたり適用されなかったりすることになる。それは、公害罪法が場所を限定したことによる当然の帰結であるといわれればそれまでであるが、いささか釈然としないものが残る。やはり積極説の解釈に無理があるといえるのではなかろうか。更にいえば、積極説を採ると、公害罪法三条二項の罪に関していうならば、業務上過失致死傷罪とほとんど異なるところがなくなってしまう。積極説を採ることは、公害罪法の焦点をあいまいにし、また、立法当時考えられていたところから著しくかけ離れることになると思われる。

五 また、業務上過失致死傷罪にはない両罰規定が、公害罪法の関係では設けられていること(公害罪法四条)は、同法がその適用対象となる行為の類型として、事業活動と排出との間に強い結びつきのある場合、換言すれば、排出自体が事業活動の一環として行われる場合を予定していたからであると考えるのが自然であると思われる。積極説では、前記のとおり、工場又は事業場におけるものとはいえ、一般の業務上過失致死傷罪と異なるところがない態様の事故についてまでこれを公害罪法三条二項の罪に含ませ両罰規定を適用することになるが、それでは業務上過失致死傷罪にはない両罰規定が公害罪に設けられていることとの調和が問題になるのではないかと思われる。

六 以上二ないし五に述べた理由等から、私としては、公害罪法三条についての多数意見の解釈が相当であると考え、本件事故に対し同条を適用することはできないとの結論に達した次第である。

なお、上告趣意との関連で付言しておくと、私の見解では、事業活動の一環として行われる工場又は事業場からの廃棄物等の排出過程(他の事業活動が同時に排出過程の面を併有する場合を含む。)における過失が認められ、その結果として有害物質が排出されて、公衆の生命又は身体に危険を生じさせれば、公害罪法三条一項の罪は成立するから、上告趣意のように、排出が、長期的、継続的であることはもちろん、予定された排出口からのものであることや、本来的事業活動に伴うものであることなどは、いずれも必要とはしない。廃棄物等の排出業務上のものであれば、一時的又は偶発的排出も事業活動に伴う排出であり、予定された排出口以外の箇所からの排出(例えば、事業活動としての排出中、排出設備の欠陥あるいは排出部門に携わる従業員の機械操作の誤りにより予定された排出口以外の箇所からも有害物質を含む廃棄物等が排出された場合等)も、また、附随的事業活動としての排出も、しかりである。

裁判官長島敦の反対意見は、次のとおりである。

人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律(以下「公害罪法」という。)三条一項にいう「工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し」の意義につき、上告趣意は、工場又は事業場における事業活動をいとなむことによって長期継続的に有害物質を発生させ、又はその発生が予定されている場合に、有害物質の発生施設からその排出口を通じ自己の管理の及ばない場所に、不要物としてこれを放出することをいうものと解すべき旨を主張し、その根拠として、公害罪法の趣旨・目的、法案審議の経緯、同一国会で成立した大気汚染防止法等の公害関係法令における「排出」概念との統一的解釈等を挙げている。多数意見は、同法制定の趣旨・目的、その経過、右規定の文理等に徴し、これを、工場又は事業場における事業活動の一環として行われる廃棄物その他の物質の排出の過程で、有害物質を工場又は事業場の外に何人にも管理されない状態において出すことをいうものと解し、その排出が一時的なものであることは同法三条の罪の成立の妨げにはならないが、事業活動の一環として行われる排出とみられる面を有しない他の事業活動中における過失による有害物質の放出は、同条の罪には当たらないものと説示している。

私は、右の上告趣意における主張を採らない点で多数意見と見解を同じくするものであるが、「事業活動の一環として行われる廃棄物その他の物質の排出の過程」における排出に限定する点については、これに同調することができない。よって、以下私見を述べることとしたい。

一 まず、公害罪法の趣旨・目的についてみると、同法一条は、「公害の防止に関する他の法令に基づく規制と相まって……公害の防止に資することを目的とする。」と定めている。このように公害罪法の目的が、大気汚染防止法、水質汚濁防止法等公害の防止に関する他の法令に基づく規制と相まって公害防止に資することにある以上、これらの他の法令において用いられている「排出」の概念と同意義のものとして、公害罪法が「排出」という文言を用いているとする上告趣意の見解にも相当の論拠がある。そして、例えば、大気汚染防止法三条二項一号は、ばい煙の排出基準につき、「いおう酸化物に係るばい煙発生施設において発生し、排出口(ばい煙発生施設において発生するばい煙を大気中に排出するために設けられた煙突その他の施設の開口部をいう。……)から大気中に排出されるいおう酸化物の量について、政令で定める地域の区分ごとに排出口の高さ……に応じて定める許容の限度」によるべきことを規定し、同法一三条一項は、「ばい煙発生施設において発生するばい煙を大気中に排出する者……は、そのばい煙量又はばい煙濃度が当該ばい煙発生施設の排出口において排出基準に適合しないばい煙を排出してはならない。」とし、同法三三条の二第一項一号は、右一三条一項の規定に違反した者を六月以下の懲役又は一〇万円以下の罰金に処することとし、同法三三条の二第二項は、過失により、右一三条一項の規定に違反した者を三月以下の禁錮又は五万円以下の罰金に処することとしている。これらの場合における「排出」の概念は、明らかに不要物たるばい煙を、その排出の過程において、予定された排出口から継続的に大気中に放出することを意味しており、過失犯は、このような排出の過程における排出口からの放出に際し、不注意によって排出基準に適合しないばい煙を排出することによって成立するものと解される。尤も、同法一七条は、「物の合成、分解その他の化学的処理に伴い発生する物質のうち、人の健康等に係る被害を生ずるおそれのある特定物質を発生する特定施設を工場等に設置している者は、右特定施設について故障、破損その他の事故が発生し、右特定物質が大気中に多量に排出されたときは、直ちに、その事故について応急の措置を講じ、かつ、その事故をすみやかに復旧するように努めなければならない。」旨定め、この場合に、都道府県知事は、当該特定施設設置者に対し、事故の拡大又は再発防止のため必要な措置をとるべきことを命ずることができるものとし、同法三三条の二第一項二号は、右の知事の命令に違反した者を、前記同項一号の場合と同様に処罰すべきものとしている。この場合における「排出」の概念は、不要物たる特定物質を、その排出過程において特定の排出口から継続的に放出することをいうのではなくて、「広く何人にも管理されない状態において出すこと」という、文言どおりの「排出」を意味することは、右条項自体から明らかである。ただ、この場合には「排出」そのものは、処罰の対象とされていないが、大気汚染防止法において用いられている「排出」の概念も、その行政上の規制・取締目的の違いに応じて広狭二義に用いられていることが明らかになるであろう。

この点に関し、原判決が、「右公害関係諸法規は、正常な事業活動の過程で放出される有害物質の規制を目的とするものであるから、刑事法である公害罪法との間では、同一用語の概念の定義・解釈に際し、おのずから差異が生じることもあることを妨げるものではない。」と判示し、排出基準等を設けて有害物質の排出を事前に規制しようとする行政取締法規と、公害被害が現実に生じた場合に事後的に刑責を問う刑事実体法との間では、その解釈上おのずから差異が生ずる旨を説いているのは正当であると考える。なお、公害罪法一条は、他の法令による規制と「相まって」公害防止に資することを目的とする旨を定めており、「相まって」というのは、「補充して」というのとは異なり、相互に足りないところを補完し合うことを意味するのであるから、行政取締法規による事前規制の対象とならないと解される「排出」行為を公害罪法の「排出」概念の中に含めて解することは、この点からも支障がないものということができる。

以上述べたところによって、公害罪法にいう「排出」の概念は、大気汚染防止法等他の公害関係法令におけるそれと同意義に解すべきものとし、これを前提として公害罪法三条一項における「排出」の定義を定めようとする上告趣意は採用することができないものというべきである。

二 公害罪法は、二条において故意犯を、三条において過失犯を、それぞれ定めている。その犯罪構成要件をみると、「工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命又は身体に危険を生じさせた者」という客観的な犯罪構成要素は故意犯と過失犯とにおいて全く同一である。

ところで、故意犯にあっては「工場又は事業場における事業活動に伴う」という認識と「人の健康を害する物質を排出する」という認識・認容が必要である。すなわち、故意犯にあっては、当該行為者は事業活動に伴って右のような有害物質を排出するという認識・認容をもっているから、その「排出」は、まさしく、事業活動としての目的物質の生産製造等にかかわる過程の中で発生し、又は使用済となった有害物質を工場・事業場の外に放出することにほかならず、同法三条の過失犯における排出につき、「工場又は事業場における事業活動の一環として行われる廃棄物その他の物質の排出の過程で、有害物質を工場又は事業場の外に何人にも管理されない状態において出すことをいう」とする趣旨の多数意見は、よく右の故意犯における「排出」の実態に符合しているといえる。

そして、公害罪法という同じ法律の中で、全く同一の客観的な犯罪構成要素を問題とするときに、故意犯において妥当する解釈は特段の事情のない限り、過失犯においても妥当すると解するのが一般である。のみならず、前記の共通する客観的犯罪構成要件を充足するためには、事業活動に伴って有害物質を排出することを要するのであって、その排出が事業活動に伴わない場合は、これに該当しないことは文理上も明白であるといえる。更に公害罪法の国会審議の経緯等をも勘案すれば、公害罪法三条の過失犯における事業活動に伴う排出の意義につき「事業活動の一環として行われる廃棄物その他の物質の排出の過程で、……工場又は事業場の外に何人にも管理されない状態において出すことをいう」とする多数意見は相当の論拠をもつものというべきである。

しかし、過失犯は、必要な注意義務を怠り、よって当該犯罪構成要件に定める客観的な犯罪構成事実を実現すれば足りるのであって、公害罪法三条の過失犯にあっても、当該行為者が、単に業務上必要な注意を怠り、前記の客観的犯罪構成要件を充足すれば足りることはいうまでもない。そこで、前記大気汚染防止法一七条にいう物の合成・分解その他の化学的処理に伴い発生する有害物質が、その発生施設における故障、破損その他の事故によって、大気中に多量に排出された場合を例にとって考察することとしよう。この場合には、右の事故が業務上必要な注意を怠ったことによって発生したものと認められる限り、「工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命又は身体に危険を生じさせた者」として当該行為者及びその使用者たる企業を公害罪法三条の過失犯として処罰することはむしろ当然であり、そのことが将来公害を発生させるおそれのある企業及びその従業員に対し、その発生の防止のために必要な注意を強く喚起することとなり、同法一条の「この法律は、事業活動に伴って人の健康に係る公害を生じさせる行為等を処罰することにより、……人の健康に係る公害の防止に資することを目的とする。」との趣旨によく合致するものというべきである。このような場合に、その排出は「事業活動の一環として行われる排出とみられる面を有しない他の事業活動中に」過失によりたまたま有害物質を放出するに至らせたものにすぎないとして、公害罪法三条の過失犯を構成しないものと解することは、公害罪法の右立法趣旨の多くの部分を没却するものというべきであろう。尤も、公害罪法三条の過失犯の構成要件を右の私見のように解することには、同条の客観的犯罪構成要素たる「工場又は事業場における事業活動に伴って……排出し」という要件を無視ないし軽視して、結局、これを業務上必要な注意を怠り、「工場又は事業場から……排出し」という構成要件と同視するものであるとする批判が向けられるであろう。しかし、右の私見においても、事業活動に伴わない不注意な行動によって有害物質を工場・事業場外に排出した場合は、公害罪法三条の過失犯に該当しないと解することはいうまでもなく、私見が多数意見と異なる点は、「事業活動の一環として行われる排出とみられる面を有しない他の事業活動中」であっても、その排出が工場・事業場における事業活動に伴うものと解される限り、本条の過失犯の成立を妨ぐべき理由はないとするところにある。いいかえれば、多数意見は、事業活動のうち排出とみられる面を有する事業活動とそれ以外の事業活動とを区別して、前者の事業活動中における過失による有害物の排出は公害罪法三条の過失犯の構成要件に該当するが、後者の事業活動中の排出はこれに該当しないとする意味で、「事業活動に伴う排出」という概念に制限を加えるものと解されるのであるが、私見にあっては前者はもとより、後者の事業活動中の過失による有害物の排出も右構成要件に該当するものと解する点が異なっているのである。そして「事業活動に伴って……排出し」というのは、「事業活動として……排出し」という概念とは異なって文理上当然に多数意見のような限定解釈をみちびくものとはいえず、却って右の私見のように事業活動に限定を加えない方がむしろ文理に即した解釈というべきであろう。このようにして私は、公害罪法三条の過失犯における客観的犯罪構成要素の解釈は、同法二条の故意犯におけるその解釈とは別異のものとして扱うことを相当とする特段の事情があるものと解するのである。なお、付言すると、公害罪法の立法過程においては、右の点について焦点を合わせた論議が尽くされているとは見受けられないので、右立法過程は故意犯と過失犯との間で区別を設ける私見を否定し去る論拠とするには不十分であると考える。

三 右のような私見を前提として、公害罪法三条の「事業活動に伴って」という概念について、なお補足しつつ、本件事案についての所見を述べることとしたい。

公害罪法三条の「事業活動に伴って」という概念は、原則として同法一条の「事業活動に伴って」と同意義に解すべきこと、そこにいう「事業活動」の中には通例、物質の製造生産等にかかわるいわゆる製造過程と右製造過程から生ずる不要物・廃棄物等の無害化と排出の過程とが基本的な事業活動として存在するほか、これらの基本的、本来的な事業活動の遂行上、これと不可欠かつ密接に結びついている準備的、附随的な事業活動もそこに含まれると解しうること等については余り異論はないところと思われる。多数意見は、同法三条の過失犯における「事業活動に伴って……排出し」という客観的構成要件を事業活動の一環として行われる排出の過程での排出に限定して理解し、事業活動の一環として行われる排出とみられる面を有しない他の事業活動中に、過失により有害物質を放出するに至らせたとしても同法三条の罪に当たらないことを明らかにしつつ、本件は「単に廃水の中和に使用する薬品を工場内に受け入れる事業活動中の過失により発生したものに過ぎず、」「事業活動の一環として行われている廃棄物その他の物質の排出の過程において」有害物質を排出した場合ではないことを理由に公害罪法三条に該当しないと解していることはその判文からみても明らかである。これに反し、私見は、前記のように、事業活動の一環として行われる排出としての面を有しない他の事業活動中の過失による有害物質の排出も、工場・事業場における事業活動に伴うものと評価できる限り、同条に該当すると解するのであるから、本件のように有害な工場廃水を中和処理するために使用する薬剤を工場敷地内の排出処理場にあるタンク内に受け入れる事業活動に際し、工場従業員の過失によりタンクへの注入口を誤って多量の塩素ガスを発生・排出させた場合には、右従業員の行為は、有害な工場廃水の中和処理・排出という基本的な事業活動の遂行上、不可欠かつ密接な準備的事業活動に伴って、つまり、「工場における事業活動に伴って」有害物質を排出したという客観的犯罪構成要件を充足するというべきこととなるわけである。

以上述べたところによれば、原判決の支持する一審判決の認定した事実関係のもとにおいて、被告人松下隆博、同大東鉄線株式会社につき、公害罪法三条の罪の成立を肯定した一審判決を是認する原審の判断は相当であり、被告人松下及び被告会社の関係において、いずれもその上告を棄却すべきものである。

(裁判長裁判官 坂上寿夫 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 長島 敦)

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